ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.13】

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講師:城間 美智子(シロマ ミチコ) 講師

ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.13】

第13弾は、「絵画」「キッズアート」講座の講師を務める城間美智子先生にインタビュー。

【ウエル・カルチャースクール講師インタビュー】

 

「原風景を学び、現風景を描く。」

 

―ご出身は

福岡県です。田舎になるんですが、福岡の筑豊地域にある田川市で生まれ育ちました。大学を卒業して結婚を機に沖縄に来ました。

 

―小さい頃から絵を描くことが好きでしたか

好きでした。器用に色々描いていたようです。

 

―小さい頃はどんな絵をかいてました

模写をよくやっていたようです。ドラゴンボールの漫画を見ながら、気に入った場面をそのまま模写するということを熱心にやっていて、それで腕を磨いたのかなと思います(笑)自分で考えたイラストなどを描くよりも、素敵な作品を模写したり、描写することが好きでした。

 

―絵を描くことが好きになったのは誰かの影響ですか

母は絵が上手でした。私が小さい頃、母はよく鉛筆で、私や姉弟たちの似顔絵を描いてました。母は絵を描くことが好きだったようです。ただ、祖父は絵の上手な母を心配して「絵描きにだけはなってはいけない!」と反対していたようです。昔は「画家になると食ってはいけない。」という風潮があり、祖父も同じような考えを持っていました。そういう話しを小さい頃、母からよく聞かされていたので、私自身も絵を志すという考えたことはなかったです。簡単に画家にはなれないと思っていました。

ちなみに母は、和琴の師範をしていました(笑)

 

 

―画家になりたいと思ったきっかけは?

転機があったのは、中学二年生の頃でした。私が暮らしていた地域は田舎で、本格的な絵画を見たことはありませんでした。ある日、『一枚の繪』という美術雑誌の原画の展示会が近くで開催されることになり、それを観にいきました。ずらっと並んだプロが描いた絵を直に観て、とっても感動しました。それで画家になりたいと思うようになりました。

 

―子供の頃から絵で賞を取ったりしていましたか?

取ったりはしていましたが、入選かよくても佳作でした。校内で選ばれる程度で、とても全国まで行ったりするレベルではありませんでした。

 

―プロの画家を目指すようになってから何か変わりましたか?

展示会に行った後からは、「私は、一生絵でやっていく!」という強い思いが芽生えていました。すぐに美術の先生に「画家になるにはどうしたらいいか」相談しに行きました。すると、美術の先生が画塾を紹介してくださって、中学の約2年間は画塾で腕を磨く日々でした。油絵を中心にやってましたね。

 

―高校に行ってからは?

「美術大学に行きたい!」という強い思いがあったので、高校3年間は受験勉強でした。石膏像や人物を徹底的に訓練しました。そうして、九州産業大学芸術学部美術学科に合格したんですね。

 

―美術大学ではどういうことを学びましたか?

美術の歴史などを学びながら、主に油絵で現代アートばかりやっていました。今は風景画を中心に描いていますが、風景画を勉強する機会は実は大学を卒業するまで全くもてませんでした。本格的に風景を学んだのは大学卒業後なんですよ。独学に近いのかもしれない(笑)もちろん!パースとか遠近法とかちゃんと学んでますよ!

 

―沖縄に来たのは?

大学卒業後しばらくしてからです。結婚を機に沖縄にきました。主人が沖縄の人だったので。結婚後も精力的に個展を開催したり、コンクールに出品してましたよ(笑)沖縄という全く初めての土地で、「画家として活動するにはどうしたらいいんだろう?」と何も分からない状態だったので、かなりがむしゃらに活動していました。子供が通っている保育園で個展を開いたり、古い公民館で絵画教室を開催したりしていました。

 

 

 

―絵を教えることも始めたんですか?

そうなんですよ。当時は名護市に住んでいたんですが、「美大卒の内地の人がいる。」と噂になりまして。そしたら、絵を教えて欲しいと声をかけられるようになり、大人・子供相手に絵の教室をやることになりました。場所は古い公民館で、そこをアトリエとしても使わさせてもらって、絵を描きながら、教えていました。運が良かったと思いますね。

 

―絵を教えることも好きだったんですか?

教室を持ちたいという願望は以前からありました。絵描き以上に「指導」、教える側に携わりたいという思いがありました。

 

―それはいつ頃から?

高校で受験勉強していた頃から思ってましたね。自分の絵を描きたいという気持ちももちろんありますが、心のどこかに純粋に絵を描くことを伝えたいという気持ちがありました。結婚して沖縄で暮らすことになった時は「必ず自分の教室を開く!」という事を条件で沖縄に来ました。「それがダメら沖縄は行かない!」って(笑)

 

―初めて自分の作品が売れた時の事は覚えていますか?

福岡にいる頃ですね。一番最初の個展で絵を購入したいと声をかけられました。しかし、その時は、母が「絶対に譲らない!」と断固として断って、売らなかったんですよ。今でもその作品は実家に眠っていると思います(笑)

 

―お母さんが一番のファンだったんですね?

そうなんですかね。当時、私は販売を反対されて、悔しく思っていました(笑)

 

 

―沖縄に来て公募展にも数々出展されていますね?

沖縄に来てしばらくは名護市に住んでいました。これまでずっと福岡で暮らしていたので、沖縄の画家に知り合いがいないわけなんですね。そんな時、近くで絵画の個展が開かれ、その画家に声をかけました。「沖縄で画家としてやっていきたいです。」と。その声をかけた画家が屋良朝春(やら ちょうしゅん)先生。屋良朝春先生は、日本現代美術協会沖縄支部の会長をされていて、屋良先生から沖縄の美術については色々教えていただきました。「沖展っていうのがあるよ。」「県展っていうのがあるよ。」という感じです。

 

―そこから色々出展されるわけですね?

そうですね。「沖展」「県展」「日本現代美術協会展」など。屋良先生が、沖縄で画家をする方向性を導いてくれました。

 

■屋良 朝春(やら ちょうしゅん)1940-2018

沖縄の画家。石川市(現うるま市)に生まれ、沖縄の風景を生涯描き続けた洋画家。

沖縄の原風景(赤瓦、石垣、茅葺き、サバニ、漁港など)を素朴で明るいタッチで描いた。

沖展、光陽展、日本現代美術などで多数授賞。

日本美術家連盟会員、日本現代美術協会常任理事。

代表作『石垣のある平安座島』(1973)

『世界遺産今帰仁城』(2002)

『朝が来た』(2007)

 

―屋良先生から他に学んだことはありますか?

「沖縄の原風景」ですね。屋良先生は沖縄の風景を描き続けてきた画家なんですね。私は描いた作品を持っていっては、色々アドバイスを頂いて、風景の勉強を深めさせていただきました。また、歴代の沖縄の画家、今活躍している画家にどんな方がいるかなども学ばさせて頂きました。

 

―沖縄の原風景?

赤瓦であったり石垣であったり、石畳であったり。戦前くらいの沖縄の風景や長閑な沖縄

田舎の風景。開拓や老朽化、戦争で失われる前の沖縄の風景について、その何たるかみたいなことを教えていただきました。私も熱心に聞いていたので、屋良先生から「じゃあ、これやりなさい。」「あれやりなさい。」と色々課題を与えられ、だいぶ鍛えられたと思います。

 

 

―その後は沖縄の原風景を描いていったんですか?

ところが、なかなか描けませんでした。やはり沖縄出身じゃないからだと思います。沖縄

原風景を描くことに気持ちの面でのらなくて…。純粋に、自分が美しいと感じた沖縄の風景を描きたいと思い、今の沖縄の風景を描くようになりました。原風景の勉強をしつつ、独自の作風ができていったのかもしれませんね。

 

―新しい作風ですか?

当時の沖縄風景は「原風景を描く」ことが主流のように思えました。県外から来た私は、原風景のあった当時の様子は実体験として分からないのですが、純粋に「あ、こういう処が素敵だな。」と感じる場所を描いていました。それで、従来の原風景画家とは一風違う作品を描いていきました。その作風が私の強みになったところがありますね。

 

―従来の原風景画家から「ここを描くの?」みたいな?

そうです。でも、今私が見て描いている風景も、今は原風景ではなくても、数十年、数百年経つと第2の原風景になっていくだろうと思います。例えば「電信柱」であったり「ミラー」であったり、戦前の沖縄にはなかった物も描き、残したいと思っています。それを見た方達からは「やっぱり見る所がちょっと違うね(笑)」って言われていました。

 

 

 

 

―ウエル・カルチャースクールの講師となったのはいつ頃ですか?

十五年くらい前ですね。名護から南部に引っ越し、南城市にアトリエを借りて活動していました。そして、那覇市民ギャラリーで個展を開いた時に、当時ウエル・カルチャースクールで水彩画の講師をしていた知念秀幸先生から、「クラスを引き継いで欲しい。」と声をかけられました。その頃にはコンクールにも数々出展しており、画歴も積んでいたので、私の作品を見て「この人だったら頼める。」と思っていただいたようです。それからしばらくは知念先生のアシスタントとして講座に入り、勉強させていただきました。知念先生からは、透明水彩画や画材ついて、噛み砕いた感じで、かなり細かい部分まで教えていただきました。絵を仕上げるスケジュール、講座スケジュールの組み方なども大変勉強になりました。

 

―現在、4クラスの講師をされていますね?

はい。一般対象の絵画クラスを2クラス。キッズのアートクラスを2クラス担当しています。

 

―講師として心掛けていることはありますか?

「楽しんでもらうこと。」ですね。当然技術的指導をするのは当たり前です。それを教えた上で、受講生には心がときめいて欲しいと思います。まずは「楽しい!」と思わないことには始まらないんですよ。なので、受講生が絵に興味を持ってもらえるように、教室の雰囲気作りを大切にしています。それが一番心掛けていることですね。

 

―具体的にはどういう風に教えていますか?

一般クラスで金曜日クラスは、基本的に「自由制作」。月2回の水曜日クラスは「課題」に沿って進めています。2クラスは少し内容は異なりますが、皆さん、年齢も性別も生活環境も違うので、それぞれ自分のペース作品を仕上げてもらっています。一律に「ああじゃないといけない」「こうでないといけない」という進め方はしていません。講座に来た時に描く方もいれば、家でどんどん仕上げて行く方もいます。どちらにも引っ張られることなく、「それでいいんです。」と、個々のペースで進めてもらっています。私の講座の時間中は、緊張やストレスを感じないように過ごしてもらうということを心掛けています。

 

―子供のクラスはどうですか?

子供クラスが始まってまだ2年経たないのですが、毎回毎回、課題を与えて、素材や色に触れてもらっています。年齢も4歳から小学5年生までいるのですが、絵の勉強をするというよりも、絵に触れて楽しんで、気づいたら身に付いていたということをイメージしながら進めています。毎回、色んなジャンルの課題を与え、自由にやる部分、しっかり形を認識して作る部分などバランスを考えながら指導しています。どちらかに偏るということはしていません。

 

 

―今後、画家としてどういった活動をしていきたいですか?

生涯絵に携わっていきたいですね。教室については、私も講師として途上ですので、上手く伝えられない部分であったり、言葉が足りない部分であったりがあると思います。その辺りを研鑽して、しっかり絵の技術を伝えながらも受講した方達には楽しんで頂きたいですね。また、自分の作品も作っていきながら、個展もやっていきたいです。最近は小さい作品を結構描いていて、それをInstagramなどSNSに載せて多くの方に見てもらっています。そういったインターネットを活用した発信も積極的にやっていく予定です。沖縄に導かれて二十数年、沖縄の色々な所を歩きながら、その場所場所の空気感を感じながら、その感動を作品にしています。畑の通学路とか小さな公園とか何気ない風景を描き続けています。それは、これからもずっと変わりません。

 

 

 

 

絵画教室アトリエ道子主宰

アート系youtuber「アトリエ道子-eazy art-」

城間 美智子(シロマ ミチコ)

Profile

1976年4生まれ

九州産業大学芸術学部美術学科絵画コース卒業

「沖展」「県展」「日現展」など入選 多数

受講生のコンクール入賞歴 多数

個展、グループ展開催 多数

沖縄三越ギャラリーにて個展

平和記念資料館、学校、自治体、各施設など沖縄県内外、海外 絵画寄贈