ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.9】
【ウエル・カルチャースクール講師インタビュー】
日付:2024.10.16
講師:玉那覇 あきお(タマナハ アキオ) 講師
ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.9】
第9弾は、「カラオケ・昭和歌謡」講座の講師を務める玉那覇あきお先生にインタビュー。
―カラオケ講座の講師をはじめてどれくらいになりますか?
1999年から講師を始めたので、24年目になります。当時、まだ社会保険センターの頃、カラオケ講座の受講生でした。その時にNHKの「のど自慢」に出場。そしたら、講師をしてくれと声がかかって、そこからですね。『ウエル・カルチャ―スクール』になって最初からいる講師の一人ですよ。
―人に教えるのは好きだったんですか?
「教える」というよりも「輝かせる」という意味でカラオケ講師になりたいと思いました。昔から人を楽しませるのが好きで、「カラオケ教室の人をステージで歌えるようにしよう」「綺麗な衣装を着て歌ってもらおう」とみんなに自信を持って歌って、輝いてもらいたい…そういう考えを常に持っています。
―子供の頃はどんな子でした?
那覇で育ったんですが、実家は大きな食堂で、テレビも早くから置かれていました。よく友達が見に集まりましたよ。そしたら僕が「しむさ~!」と言っているのに母は「かましぇ~!」と言って友達にご飯をあげましたね…無料で(笑)母も祖母もよく食べるのに困っている人にご飯あげたりしてました。全然知らない人にですよ。祖母の口癖が「今は難儀だけど、人の為になる事をやりなさいよ。後に自分にかえってくるから。」でしたね。それだけは、ずっと覚えていて、その性分は受け継いでいると思います。食堂にはジュークボックスがあって、流行りの曲がよく流れました。僕は、そんな昭和の人情味のある食堂で育ちました。
―小さい頃から歌が好きだったんですか?
小学2年生くらいから人前で歌っていました。小学生の頃は独唱で選ばれて、音楽コンクールで沖縄一位になりました。小学生~高校生までは音楽部に所属して、合唱や独唱など声楽を主にやっていました。その当時の先生方が声楽の世界で有名な方達で、自分は先生たちに恵まれていたと後で気づかされましたよ。…卒業した後に(笑)
―憧れの歌手は?
美空ひばりですね!僕らの時代は美空ひばりですよ。ただ、時代時代に合わせて色んな音楽はやってきましたよ。ベンチャーズが流行り、そしてビートルズの時代になって、当時僕は19~20歳頃だったんですが、その時ロックバンドを結成しました。
―ロックバンドを組んでいたんですか?
そうよ!びっくりでしょ!MG5(エムジーファイブ)というバンド名で、マッドガイの略です。知人に不良っぽいイメージの名前を付けてもらいました。ただ、5人組じゃなくて、6人グループだったんですよ(笑)僕はロックバンドのボーカルで、髪も伸ばしていましたよ(笑)自分達でコザの繁華街を回って、「歌わせてください!」と売り込んだりしましたね。ベトナム戦争の頃です。今の中央パークアベニュー…以前はBCストリートと言って、そこの店で歌うことになりました。
―コザで歌っていたんですね?
コザの街で米兵相手に歌っていましたよ。あの頃のコザはドルが飛び交う華やかな世界でした。歌っている最中、よくビール瓶も飛んできましたけどね(笑)今は演歌や歌謡曲が主ですけれど、当時はもちろん英語で歌っていました。かっちゃんのコンディション・グリーンや紫は同僚みたいなものでよく一緒でしたね。
―英語を話せるんですか?
全く。当時の僕らの英語は『ブロークンイングリッシュ』と言われていました。カタコトってことです。米兵の方が日本語上手でしたよ(笑)
―コザで歌っている頃、印象的な事はありましたか?
あの頃、アメリカの兵隊さんはベトナムに行く前にお金を全部使いきろうとしていましたね。支払は全部現金…キャッシュで、それを自分の席のテーブルに置くんですね。お店にレジがないので、ウエイターがテーブル回って回収するんですけど、丁寧に数えて集める暇もないので、ドル札をグジュグジュに丸めてタライとかメリケン粉の袋に放り投げていましたよ。タライにドル札が山積みでした(笑)
―コザ以外でも歌っていたんですか?
沖縄のあっちこっち行きましたよ。印象的なのは万座ビーチにホテルが出来る前、あそこで3日間ぶっ通しの野外ライブやりましたよ!朝からずっと歌いっ放し♪
―結局バンドはどうなりました?
15年くらい続けていたのですけれどね。沖縄が祖国復帰して、ベトナム戦争が終結。そこから世の中が変わっていきました。兵隊さんがいなくなって、ドルから円に切り替わって、物価も違うんですよ。そしたらとても食っていけなくて、バンドを終わらせることを決心しました。本当はずっと続けたかったです。…バンドの仲間とアメリカまで行きたかった。
―バンドを解散してからは?
バンド解散後の僕は、ロック(洋楽)はやめて、歌謡曲を歌っていました。ディスコやスナックを回って、そこで歌ったりダンスを踊ったりしていました。客を呼ぶために、そういうお店をやっている方達からよく声がかかりましたよ。そんな日々を送ってしばらく経つと「カラオケ」という物が普及し始めたんですね。昭和から平成に変わった頃だったと思います。今の通信じゃなくて、カセットテープとかレーザーディスクの時代ですよ。それで、カラオケが置いてあるお店に呼んでもらうようになりましたね。自分でカラオケ屋も経営していましたよ。
―当時のカラオケは?
最初、世間はカラオケハウスに対してあまり良いイメージを持っていなかったと思います。密室なので、未成年者は行ったらダメみたいな考え方がありました。今みたいに学生やご婦人が行くような場所ではなく、飲み屋で働く方が主でした。それがどんどん一般的に広まっていき、カラオケ教室と言うものまでできて、驚きました。最初僕は受講生で、その後、講師となりました。
―コロナ禍がやってきましたね?
これまで色んな苦難を乗り越えてきたのですが、コロナは一番きつかったですね。コロナになる前はどんどん受講生が増えて、カラオケコンサートやダンスパーティーを色々計画していました。それが全くできなくなって、本当にショックでした。ライブハウスを予約して、昔のバンド仲間を集めて、ライブも予定していましたが、それもできなくなりましたよ。大変でした。
―その間、カラオケ講師以外の肩書を取得されましたね?
歌の力を通して、受講する皆さんを元気にしたいという思いから「メンタル心理ミュージックアドバイザー」「音楽療法インストラクター」の資格を通信で取りました。一生懸命勉強しましたよ。アンチエイジングといいますか、認知症予防といいますか、そんな力が歌にあると思っています。それをより上手く伝えられないかと考え、資格取得しました。いつまでも勉強ですね(笑)
―歌で生き生きするんですね?
そうなんですよ。でも、それは歌だけじゃなくて、カルチャ―スクールの特徴だと思います。仲間や講師と集まって、おしゃべりして、楽しい時間を過ごすと、生き生きするんでしょうね。実際、タクシーの運転手さんに言われましたよ。「同じ歳くらいの老人でもカルチャ―に行く人は生き生きしている!」って。そしたら、講師としてやり甲斐ありますよね。
―「教える」じゃなくて「引き上げる」?
僕がやっているのは「教える」ではないんですよ。その人その人の気持ちに入って、寄り添って、一緒に音楽を感じるイメージです。これを繰り返しやっていくと自然にみんな歌っているんですよ。
―歌うのが苦手な人もいますか?
たくさんいますよ。人前で歌うのが苦手で、自分に自信がなくて、そういう人はたくさんいます。でも、みんな歌が好きで、心の中ではいっぱい歌っているんです!僕はその人達の心の歌を声にすることが仕事と思ってやっています。自分の声で歌ったら皆さん輝くんですよ。
―自信がない人が歌えた時の表情は違いますか?
全然違いますね。表情も違いますが、実は服装も変化して行くんですよ。明るくなっていきます。「マフラーぐゎー巻いたり、ヒールぐゎー履いたり、ハイカラぐゎーなっていく♪」オシャレになっていきます。そして、普段の会話する声も大きくなって、その人の生活も変わっていきます。それは、家族にも影響しますよ。本人が明るく変化して行くと、家族も喜ぶんですね。プラスプラスに周りが変化していきます。
―受講生の変化は他の受講生にも影響ありますか?
ありますよ。クラスが明るくなって、自然にいい仲間になっていきます。カラオケを通して新しいお友達がどんどんで増えるんですね。うちの受講生はカラオケ講座終わった後に、みんなでカラオケハウス行きますよ~(笑)「まだ歌うの?疲れないの?」て何度も聞きましたよ。受講生だけで忘年会やお食事会もしているみたいですよ。本当、みんな元気で活発です。「青春は年齢じゃない!」ですね。
―カラオケ講師やるにあたって努力していることはありますか?
空いている時間は色んな歌を聞いていますね。男性の歌、女性の歌、そして新しい歌を取り入れられるように新曲もたくさん聞いています。CDやyoutubeでずっと探しています。
―新しい歌を歌わせるんですか?
はい。受講生には課題曲を与えるんですね。毎回分かる歌、好きな歌ばかりだと心が活性化されないじゃないですか。新しい歌を課題曲として繰り返し練習していきます。そしたら、これまで聞いたことないメロディー、歌詞、リズムを体で覚えないといけないので、感性が柔らかくなっていきます。最初はみんな緊張するんですけどね(笑)でも、みんなで歌えるレパートリーが増えて、後は盛り上がりますよ。
―講座の時、指揮者みたいに指を振っていますよね?
リズムを教えているんですよ。身振り手振りでリズムや音の高低を伝えています。頭で「半音上げる」とか言われてもできないじゃないですか。感覚で伝えるために全身使って音を表現しています。ほとんど座らないですよ(笑)
―講座のタイトル「昭和歌謡」に込められた思いは?
今の受講生…70~80代が多いんですが、若い頃、仕事や育児で頑張ってきた方々ばかりなんですね。彼らにとって色んな思いが詰まった時代が昭和という時代で、その時聞いた歌に、それぞれの想い出が沢山詰まっていてるんです。昭和の歌を聞いて歌うことで、当時の記憶と一緒にあの頃の気持ちも蘇って、元気になるんです。歌は、写真よりもビデオよりも鮮明な記憶装置だと思っいます。
―今、カラオケ講師として思うことは何ですか?
歌を通して、高齢の方に元気になってもらいたい!普段、自分に自信がない方に自信を持ってもらいたい!歌で人を元気にしたいというのが自分の役目だと思っています。家から外に出て、歌をきっかけにたくさんの人と交流して欲しいですね。元気で健康に。人生100年と言われますが、僕は120歳まで元気に楽しく生きてくつもりですよ!これからも歌を通して、元気になることを積極的にやっていきますよ♪バンドもカラオケもやります!人生を楽しみましょう!