ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.6】

【ウエル・カルチャースクール講師インタビュー】

日付:2023.1016

講師:仲本 亜寿香 講師

ウエル・カルチャースクール企画【講師に聞く!vol.6】

第6弾は、「やさしい三線」講座の講師を務める仲本亜寿香先生にインタビュー。

 

「宮城輝忠(みやぎこんちゅう)の孫」

 

-仲本亜寿香先生と三線の出会いを教えてください。

きっかけは子供たちですね。子供たちが三線を習うようになり、仲宗根盛次先生の教室に入門して通い始めたんですね。私は、子供たちを三線教室に送り迎えするだけだったんですよ。

 

-子供たちの送迎で三線教室に通うようになったんですか?

そうなんですよ。ある日、子供たちを教室に送って、終わるまでちょこんと座って待っていたんですね。そしたら、仲宗根先生が来て、「こんなして座っているより、三線弾いておいて。」とチンダミ(調弦)された三線を渡されて。ちょっとだけ触って、置こうとしたら、「三線は置く物じゃなくて、弾かないと。」と言われ、やらないといけない雰囲気になって…。そういうやり取りを何回かしていく内に、いつの間にか三線を始めてました。

 

-三線歴で言うと?

ちょうど20年になります。私自身、三線を始めたのは、大人になってからなので。それまでは普通の専業主婦でした。祖父が三線で有名なので、「あなたも、小さい頃から三線弾いてたんでしょ?」ってよく聞かれるのですが…。

 

-お祖父さんが有名な方とお聞きしました。

実は…そうみたいです。宮城輝忠(みやぎこんちゅう)と言って、沖縄の最初の歌者と言われていて、有名だったらしいんですよ。でも、私の印象では、よく家で三線を弾いている、沖縄によくいる「普通のおじー」でした。

 

-お祖父さんの影響で三線を始めたわけじゃないんですか?

宮城輝忠の孫なので、その環境で三線を始めたとみんな思っているらしいのですが、そういうのは全然なくて、家族の中では有名な三線歌者と言うより、やはり「普通のおじー」だったんですよね~。後々、自分の師匠である仲宗根先生や上江洲由孝先生たちから、「お前のお祖父さんは凄い方なんだよ。」と教えていただきました。

-もともと何か音楽はされていたのですか?

全然。私、とってもあがり症で、人前で何かやるのが苦手なんですね。カラオケとか人の前で歌うたったりするのが、ほんとダメで。三線を始めて、コンクール受けたり、人前で演奏するようになって、だんだん度胸つけてきた感じですね。…カラオケは今も苦手ですが(笑)

 

-仲宗根先生に促される形で始めた三線ですが、講師になるまで続けた理由は?

仲宗根盛次先生や、同じ研究所の同期や先輩、後輩達とのコミュニケーションが大好きで。自分が演奏で失敗した時は一緒に悔しがったり、上手く弾けたときは一緒に喜んだりして「仲間」を感じます。きっと仲宗根先生の情がそういう環境を作っているのだと思います。この環境が大好きで、ずっと続けてますね。

-まさにファミリーですね。

ですね。兄弟弟子も優しくて、色んな面でサポートしてくれます。

 

-三線講師を始めたきっかけは?

ウエル・カルチャースクールなんですよ。それまでウエル・カルチャースクールの三線講師はみんな男性だったんですね。そこでウエルから仲宗根先生に「女性の三線講師をどなたか紹介して欲しい」と依頼があったようです。私は、当時、三線教師免許は持っていたので、仲宗根先生のアシスタント(補佐)や代理講師として講座に関わってはいたんですね。それで、ウエルの依頼に賛同した仲宗根先生が「教えるのは勉強だよ。」と背中を押す形で、講師をさせてもらうことになりました。最初は正直「私で大丈夫かな~。」と不安でした(笑)

そしたら、仲宗根先生が「仕事がなら~すんよ。」と言って、「仕事をやっていくうちに学んでいく。それが芸に活かされるよ。」とアドバイスをいただきました。

-講師として意識していることはありますか?

受講生それぞれ、早く覚える人もいれば、ゆっくり上達する人もいる。始めた時期も違うので、どうしても個人差が生じます。だからと言って、出来る人だけついて来ればいいという考え方は嫌で、飲み込みが早い人も遅い人も…参加した受講生全員が何か1つでも分かって帰っていただけたらいいなと、日々勉強しながら教えています。どうやったらそれができるのか、まだ手探り状態で、受講生と一緒に勉強中です(笑)

 

-亜寿香先生の三線クラスに外国人の受講生もいましたよね?

いましたね。あっちも日本語はカタコトでしか喋れず、私も英語は話せないので、教えるのが大変で、最初は単語単語を調べながら必死に伝えましたよ。スマホをフル活用してやり取りしました。「小指」を調べて「リトルフィンガー」って言ったりしました。オーストラリアやイギリス、シンガポール出身の受講生がいましたよ。最終的に、民謡や古典の新人賞を取りましたよ!

 

-凄いですね。今でも交流はあるんですか?

ありますよ。帰国した後も続けていて、LINEやZOOMを使って歌三線のレッスンしたりアドバイスしていますよ。彼らは向こうで三線サークル作ったり、県人会に参加して発表会などに出演しているようですよ。ウエルの講座が世界に広がってますよ~(笑)

亜寿香:でも私、普通に「アイシーコウ」とかで教えてますよ。

記 者:IC校(インターナショナルカレッジ)?

亜寿香:違います!合(アイ)・四(シー)・工(コウ)。

記 者:あ、工工四(クンクンシー)のこと!

亜寿香:そうです。ハハハ。ドレミで教えようかとも思ったんですけれど、工工四が読めた方がいいかなと思って。

 

-講師として嬉しかったことはありますか?

外国人受講生であったり、県外出身の方とかも沖縄を離れてもつながってくれるんですよ。仕事で沖縄に来て、その時、ウエルで三線を習って、二~三年したら沖縄を離れるんですけれど、みんなその後もつながってくれてて、アドバイスを求めて来たり、また戻って来たりするんですね。今では県外にも三線講師はいるはずなのに、忘れないでいてくれることは本当に嬉しいですね。それでスマホを扱う技術が相当上がりましたよ(笑)

 

-受講生は何を楽しみに三線教室に通われていると思いますか?

自分のスキルアップというよりも、クラスに通ってみんなで集まることを楽しみにしている感じがしますよ。私だけじゃなく、クラスの仲間同士のコミュニケーションを楽しみにしているようです。私も仲宗根先生の元、そういう環境で育ってきたので、意識的に自分のクラスもそういう環境にしたいとは思っていますね。先生と生徒というよりは、フレンドリーな関係が築けるクラス作り…といいますか。

 

-受講生の皆さんは、三線をひくにあたり、どのあたりで苦労されていますか?

工工四(クンクンシー)を覚えるまではとてもきつそうです。また、ある程度弾ける受講生の中に初心者が入る事も大変そうで、とても不安そうです。「大丈夫ですよ。工工四(クンクンシー)を追って弾けるようになるまでは、(講師)ついて教えますからね。」とは伝えてます。それで、兄弟弟子に補佐をお願いして、フォローできるようにはしています。

ただ、他の受講生の皆さんも最初が不安って気持ちは分かるので、初心者には温かく声かけしてくれて、助かってます。私自身が不安いっぱいの初心者だったので、初めての方の気持ちを常に振り替える様にして、指導するよう心掛けてますね。

 

-三線奏者として、今後の目標を教えてください。

民謡、古典、舞踊曲、芝居の曲などまだ弾いたことない曲がまだまだたくさんあるので、これからチャレンジして、それを広く教えていければと思いますね。先人達が残してくれた曲の数々を一曲でも多く習得して後輩にも伝えていければと思っています。

-上達したい曲はありますか?

やっぱり祖父が得意だった「ナークニー」は上手になりたいですね。あとは「下千鳥(サギチヂュヤー)」、「仲風節(ナカフーブシ)」ですね。「下千鳥(サギチヂュヤー)」、「仲風節(ナカフーブシ)」は、「三線」が古典の様な「歌」は民謡と古典をミックスしたようなとても難しい曲なんですね。師匠である仲宗根盛次が抑揚をつけて演奏する姿を見て、声の絞り方とか節回しとか研究して、練習して、挑戦したいですね。

「ナークニー」はもちろん!本当は人前で歌いたくない曲ではあるんですが、宮城輝忠の孫と聞くとみんな「ナークニー」を期待するので、避けては通れない道だろうということでいつかは挑みたいとは思ってます。…実は人に見られないように隠れて練習しています(笑)

 

-これから三線をはじめたい皆さんにメッセージをお願いします。

沖縄の伝統芸能は他にはない魅力を持っていると思うので、沖縄の人だけじゃなく、県外、世界の人達にやって欲しいですね。

 

-三線を続ける人達にメッセージをお願いします。

自分もそうですけれど、絶対挫折する時はあります。そこを一人で抱えないで、一緒に共有して仲間たちと歩んでいけるので、そしたら出来るように必ずなります。諦めずに続けましょう。

-師匠・仲宗根盛次とは?

盛次先生は…見た感じコワモテですけれど、とても優しい人ですよ。情が厚くて、面白くて一生懸命です。先生の背中を見て、私たちは指導者としてこうありたいと思ってますね。影響はとても大きいですね。盛次先生、絶対怒らないし、コンクール前の生徒の稽古とかあれば、とことん付き合うんですよ。一人でも、最後まで。あの懐の深さに、本当頭が上がりません。

あと、会話は全部沖縄口ですよ。県外出身の生徒さんとか外国の生徒さん達にも。「わたみっちょーん」して(笑)

仲宗根ファミリーとして三線を始めて、これからもどんどん仲間を増やしていきたいですね。県外にも、世界中にも。

 

【宮城輝忠(みやぎ こんちゅう)】

1904-2007年。仲本亜寿香講師の祖父で、三線歌者。歌詞や節回し、演奏方法が歌い手で異なる「ナークニー」の名人として有名。宮城輝忠のナークニーは「輝忠ナークニー」と呼ばれれ、今でも多くのファンを魅了し続けている。

 

仲本 亜寿香

沖縄県那覇市出身。1972年7月16日生まれ。

国指定重要無形文化財『琉球舞踊』伝承者

県指定重要無形文化財『琉球歌劇』伝承者

県指定重要無形文化財『沖縄伝統野村流』伝承者

野村流伝統音楽協会・師範

琉球民謡音楽協会・師範

琉球新報芸能コンクール(最高賞)

琉球民謡音楽協会コンクール(グランプリ)